国境を越えて働き、生きる日本人の選択を手がかりに、キャリアと価値観の更新を掘り下げる本連載。今回登場するのは、ロンドン在住33年、いまは東京との二拠点で活動する優美代表 キングウェル・シゲミさんである。恋で渡米し、別れの後も「帰ったら負け犬になる」と踏みとどまり、極貧のロンドンで子育てと生活を立て直した。そして52歳で起業。暮らしの感性を事業へ変えた“意思決定”の軌跡は、何を手放し、何を積み上げてきたのか。(文=JapanStep編集部)

優美ロンドン 代表
キングウェル・シゲミさん
茨城県出身。文化服装学院で服飾を学び、東京でデザイン・パターン制作に従事。27歳のとき大恋愛を機に渡米し、シカゴでの生活と別れを経験する。のちに渡英し、ロンドン在住33年。子育てが一段落したタイミングで、テーブルコーディネートと暮らしの提案を軸にしたサロン・ブランド「優美ロンドン」を立ち上げた。英国生地を用いたノーアイロンリネンや、英国アンティーク&セレクト品の企画・販売、サロン形式のレッスンやイベント運営、情報発信を通じ、日本の顧客へ“無理なく洗練された大人の食卓”を届けている。現在はロンドンと東京の二拠点で活動中。(写真提供=キングウェル・シゲミ)
キングウェル・シゲミ(以下、シゲミさん)の越境は、語学の王道コースから始まったものではない。原点にあるのは、茨城で洋裁店を営んでいた母の背中と、布に触れて育った手の記憶だ。高校卒業後に上京し、文化服装学院で学んだのち、東京でデザインやパターン制作に携わり、20代の大半を「つくる」現場で過ごした。寸法を取り、素材を読み、試作しては直す。成果は手元の精度に宿り、言い訳は通らない。その厳しさが、のちに異国で暮らすときの“耐久力”として効いてくる。
当時の東京は、バブルの熱気が街を覆っていた。勢いが「正解」を増殖させ、速い者が勝つように見える時代である。シゲミさん自身も青山に暮らし、地上げで立ち退きを経験した。「環境は自分の意思とは関係なく変わる」。その感覚を、シゲミさんは早い段階で身体に入れていたのかもしれない。
転機は、バックパッカーとして来日していた一人の英国人との出会いである。彼は映画監督の勉強のため、シカゴの大学へ通う計画を抱えていた。シゲミさんは仕事を辞め、彼に同行する決断を下す。理屈よりも先に、人生の針が振り切れた瞬間だった。

渡米の意思決定を「恋に溺れた勢い」と片づけるのは簡単である。だが、英語が十分に話せない状態で、見知らぬ土地に生活を組み立てるのは、毎日が交渉の連続だ。住まい、仕事、金銭感覚、距離感、会話のテンポ。違いは一つひとつ小さいが、積み重なると確実に体力を削る。それでもシゲミさんは一歩を踏み出した。越境者に共通する資質があるとすれば、準備が整ってから動くのではなく、動きながら整える覚悟だろう。
シゲミさんのキャリアを貫くのは、「つくる」感性である。服の形をつくるには、寸法と素材を読み、手を動かし、失敗し、縫い直す。その積み重ねは、異国で暮らすための試行錯誤にも直結していった。越境とは、パスポートのスタンプではなく、日々の判断を自分の手元に取り戻す営みでもある。シゲミさんは、そこに早くから自分の足場を作っていた。
そしてシカゴでの時間は、シゲミさんに“次の問い”を突き付ける。好きだけでは越えられない局面に、どう向き合うのか。答えは、シゲミさんが一度の別れを経験してから、より輪郭を帯びていく。
シカゴでの生活は、理想の延長ではなく現実の連続だった。日本食レストランで働き、暮らしを回しながら、言葉も文化も違う土地で“居場所”を自分でつくっていく。そんな最中、彼とは一度別れる。普通ならここで日本に戻る選択肢が浮かぶ。しかし、シゲミさんは戻らなかった。「帰ったら負け犬になる」。この言葉は強がりに見えるかもしれないが、実態はもっと切実だ。周囲の評価の前に、まず自分の選択を自分が裏切りたくなかったのである。
ほどなく関係は修復し、結婚。二人はロンドンへ移る。だが、ロンドンもまた“憧れのヨーロッパ”とは程遠い入口だった。1990年代初頭、日本との距離はいまより重い。国際電話は高価で、気軽に相談できない。日本食材は手に入りにくく、慣れた味は贅沢品になる。夫の就職も不景気に阻まれ、家計は一気に細った。当時、母親が孫のおもちゃに現金を縫い付けて送ってくれたというエピソードは、困窮を誇張なく伝える。生活は「回す」というより「守る」に近かった。

ロンドンの華やかな街並み。今では煌びやかに見える街並みも、
当時のシゲミさんには余裕が持てない場所だった(写真提供=キングウェル・シゲミ)
子育ても厳しい。親戚の助けを得ながら何とか凌いだとはいえ、異国で育児をするというのは、言語の壁以上に、精神的な孤独が堆積する。さらにイギリスでは送り迎えが必須になり、時間の制約が強い。働ける範囲は狭まりがちで、社会との接点が細くなる。外へ出たいのに、日々は家庭の中で閉じていく。その感覚を、シゲミさんは長く抱えた。
それでもシゲミさんは“そこで終わらせない”ことに執着した。生活のために耐えるだけではなく、どこかで自分の人生を取り戻す必要がある。ここで重要なのは、彼女が「励まし」ではなく「設計」によって次の一手を探し始めた点である。限られた条件の中で、何ならできるのか。何を捨て、何を残すのか。現実の制約を正面から引き受けたうえで、動ける範囲を増やしていく発想だ。
決定的だったのは、喪失である。父、姉、母を相次いで亡くし、人生の有限性を突き付けられた。「このまま時間だけが過ぎていくのは違う」。危機感が、挑戦の再起動を促した。ここで彼女が選んだのは、派手な逆転劇ではない。まずは手を動かせるところから始めるという、現実的で強い一手だった。
ロンドンの暮らしの中で、シゲミさんは英国の生活文化に目が留まっていく。人が集まり、食卓を囲み、会話が続く。テーブルは単なる家具ではなく、人間関係が生まれ直す舞台になっている。20代に服飾で鍛えた「生地を見る目」や「形をつくる手」は、ここで別の扉を開く。最初に惹かれたのはテーブルコーディネートだった。学び、試し、自宅で小さくレッスンも始める。だが、教えるだけでは継続的な収益になりにくい。市場が限られるほど、仕組みが必要になる。

ロンドンでテーブルコーディネートは生活の一部だ(写真提供=キングウェル・シゲミ)
そこで彼女は、暮らしの提案を“事業の形”に組み替えていく。テーブルコーディネートを核にしながら、レッスンで終わらせず、リネンや器といった実物の商品へ接続し、さらに「場」をつくって顧客体験ごと届ける。ロンドン郊外の自宅を拠点にしたサロン形式は、そのための器となった。学びの場であり、世界観を体験してもらう場であり、信頼を積み上げる場でもある。

体験価値の高いサロン形式は、日本人の心を徐々につかみ、活動の幅も広がっていった(写真提供=キングウェル・シゲミ)
活動はほどなく、ロンドンと日本の二拠点へ広がっていく。日本一時帰国のタイミングには東京などでお茶会や販売会、展示販売会といったイベントも開催し、オンラインとオフラインを往復しながら顧客との接点を太くしていった。体験(サロン・イベント)で信頼を積み、物(リネン・器・セレクト品)で継続につなげ、発信で接点を絶やさない。極貧の時期に身についたのは根性ではない。限られた条件の中で価値を立ち上げ、届け、続けるための“設計の筋力”である。その筋力が、次に「優美ロンドン」というブランドの輪郭を、より確かなものにしていく。