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2026.01.27

不確実性を超え、カザフスタンで掴んだ舞台 【連載】越境スピリット~世界で輝く日本人

海外で挑戦を続ける日本人に直接話を聞き、キャリアや価値観の変化をたどりながら、世界に飛び出して活躍するための実践知を掘り下げる本連載。今回登場するのは、中央アジア・カザフスタンで単身バレリーナとして舞台の中心に立つ渡邊 美菜実さんだ。「チャンスがあるなら迷わず行動すべき。『行かなければよかった』と後悔することはほぼないと思います」。コロナや社会情勢で道が断たれても、彼女は未知の国へ踏み出し、主演を担う立場へたどり着いた。不確実性の時代に、チャンスをつかんだ渡邊さんの軌跡から、「次の一手」のヒントを掘り起こす。(文=JapanStep編集部)

バレリーナ 
渡邊 美菜実さん

3歳より叔母が主宰するバレエアカデミーにてバレエを始める。数々の国際コンクールで受賞。15歳でフランス国立マルセイユバレエ学校へ留学し、ロシア・モスクワのバレエ団にて研修。コロナ禍と戦争を機に日本へ帰国し、ツアーカンパニーと契約してイギリス、アメリカ公演に参加。2024年よりカザフスタン共和国アルマトイのアユハノフ劇場(カザフスタン共和国アカデミック舞踊劇場)に所属し、2025年よりリーディングソリストに昇格。劇場レパートリーの主演を務める。

断絶を越える。踊る場所は自分で探す

渡邊 美菜実さんのキャリアは、3歳のときに始まった。叔母が主宰するアカデミーに通い、家族にとってバレエは日常の延長にあった。当時、渡邊さんはその環境を「やめる選択肢がない」ものとして受け止めていたという。だが、そこにあるのは「押しつけ」ではなく、期待と応援の視線である。舞台に立つたびに、家族が自分の踊りを喜んでくれる。その実感が、幼い彼女のエネルギー源になった。


幼少の頃の渡邊さん。日常にはいつもバレエがあった(写真提供=渡邊 美菜実)

中学生になると国際コンクールに挑み、視線は自然と外へ向く。国内での評価軸だけでは測れない世界がある。厳しくも正直な審査、さまざまな国の同世代の表現、そして「言葉が通じなくても、踊りは通じる」という経験。こうした体験が、留学を「夢」から「計画」へと変えた。中学の頃には海外のバレエ学校を本格的に目指すようになったという。

小学校3年生のとき初めてのコンクールに出場した渡邊さん(写真提供=渡邊 美菜実)

15歳でフランス国立マルセイユバレエ学校へ単身留学。当時、周りで留学ブームが起きていたことも、留学を決断した理由になったという。異国で生活しながら技術を磨くという選択は、バレエの技量だけでなく、自己管理能力そのものを鍛える。時間の使い方、身体のコンディション、メンタルの持っていき方。プロの世界では、才能は前提であり、継続できる仕組みを自分で作れるかが問われる。
「初めての海外生活によるホームシックに加え、『痩せなければならない』というバレリーナ特有のプレッシャーや思春期の葛藤から過食気味になり、精神的に大きく落ち込んだ時期もありました」(渡邊さん)


フランスに留学していたころの渡邊さん(写真提供=渡邊 美菜実)

18歳でロシアへ渡り、バレエ団の研修を受ける。環境は一気に変わった。使う言語も、それまで軸にしてきたフランス語からロシア語へ。時に英語が飛び交うことがある。国や劇場が変われば、必要になる言語も変わる。踊る場所を広げるほど、言葉は「できたら便利」ではなく、仕事道具として必須になっていく。

とはいえ最初からうまくいったわけではない。渡邊さん自身、語学はかなり苦労したという。背景にあったのは、日本人特有のまじめさと、学校で染みついた英語の学び方だ。間違えないように、完璧にしてから話そうとする——その姿勢が、かえって口を重くしてしまう。転機の一つはフランスにいた頃だ。一生懸命聞き取れるようになった瞬間、周りが悪口を言っていたと知った。ショックはあったが、同時に「だったら気にしても仕方ない」と、良い意味で開き直れたという。

ロシアへ渡ってからはさらに腹が据わった。文を組み立てる前に、単語単位でもいいから投げる。知っている言葉を総動員してアウトプットを増やすことで、通じる感覚を体に入れ、自信に変えていった。多くの日本人が語学に不安を抱くのは自然だ。ただ渡邊さんの実感は明快である。学び方の固定概念を捨てれば、語学という壁は突破できる。完璧さよりも、まず届ける。踊りと同じで、言葉も「使いながら上達する」ほうが早いのかもしれない。

温かい国と熱い客席。バレエが根付いたアルマトイの日常

渡邊さんの次なる転機は、世界を覆ったコロナ禍である。2019年、影響を受けて日本へ帰国。その後、戦争によってロシアへ戻る道も閉ざされた。キャリアの一本道が、外的要因で突然断ち切られた。ただ、渡邊さんは止まらなかった。

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